あなたはあなたに説教をされる牧師、伝道師のために祈りますか。
もしそうでないなら、あなたはぜひ祈るべきです。
牧師、伝道師はあなたの祈りが必要なのです。説教者のために祈るならば、それはあなた自身のためになるのです。
新約聖書の半分を書き記すほどに神に用いられた使徒パウロでさえ、人々向かって自分のために祈って欲しいと願い求められました。
「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。」
第一 テサロニケ5:25
牧師、伝道師は同じメッセージを別々の場所で取り次ぎますが、その説教の反応は同じように出てこないのです。なぜでしょうか。なぜなら説教者が聖霊によって導かれ語るメッセージは、聴衆の霊的状態によって決まってくるからです。
聴衆の抱えている霊的うえ渇き、集中度、また必要は語られるメッセージに大きな影響を与えます。
もし説教者を批判しそうになったなら、私たちは自分自身がその語られているメッセージを受け入れる準備が自分自身でできているるかどうかを考えてみる必要があります。
「あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。」
第二コリント1:11
この御言葉によれば、牧師、伝道者の目前にいない場合にでも、私たちは彼らのために祈ることによって、彼らをサポートすることができるのです。
あなたはこのこと信じて、すぐに行動に移せるでしょうか。
「同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」
コロサイ4:3−4
パウロはこの御言葉で、ただ単に言葉を並べているだけなのでしょうか、それとも、人々の祈りが彼の伝道に大きな影響を与えると本気で訴えているのでしょうか。
「私たちのために祈ってください。私たちは、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動しようと願っているからです。」
ヘブル13:18
もし使徒パウロに祈りが必要ならば、今日において、すべての牧師、伝道者に祈りが必要なのは確かなはずです。
あなたが牧師、伝道師のために祈らないとき、特にあなたのために奉仕してくださる
(あなたの牧師、ゲストスピーカー、あなたの聞くテレビ、またはラジオ牧師のために)、あなたは自分自身に損失を招いているのです。
「終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。」
第二テサロニケ3:1
あなたが説教者のために祈るとき、神の祝福と油注ぎがこの説教者の上に与えられるだけでなく、あなた自身も彼の取り次ぐメッセージを心に受け入れる準備をしていることになります。 ぜひ、今日からでも、説教者のために祈ってゆきましょう!