聖霊の賜物を受けることは、あなたにとって神の御心なのです。
ヨハネ7:38-39
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。
イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」
使徒2:17、38、39
「“神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。“
そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。 そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
エペソ5:18
「また、酒に酔ってはいけません。 そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」
ヨハネ20:22
「そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。 “聖霊を受けなさい。”」
マルコ16:17
「信じる人々には次のようなしるしが伴います。 すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、
新しいことばを語り、」
聖霊の賜物を受けるためのただ一つの条件は、
あなたがイエスキリストにつながっていることです。イエスキリストがあなたの主でなければならないのです。
聖書の時代において、信じる人々は聖霊を受け、異言で語り始めました、
神は不公平なお方ではありません。
使徒10:34
「そこでペテロは、口を開いてこういった。 “これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、”」
使徒2:4
「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
使徒8:14-20
「 さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、“私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。”と言った。
ペテロは彼に向かって言った。 “あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。
あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。”」
使徒9:17
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。
“兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。
あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。”」
第一コリント14:18
「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、」
使徒10:44-47
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
使徒19:2, 6
「“信じたとき、聖霊を受けましたか。”と尋ねると、彼らは、“いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。”と答えた。」
「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。」
どうか、聖書の時代のクリスチャンと同じように、異言で話せるよう期待してください。
* 異言を受けるために、あなたが特別なクリスチャンである必要はないのです。 聖霊はあなた自身が信仰によって受け取る賜物なのです。
ガラテヤ3:2
「ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」
使徒2:38-39
「そこでペテロは彼らに答えた。“悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。”
なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
ヨハネ14:16-17
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
あなたは何とかして神の賜物を得るために、神を説得させる必要はないのです。
神はすでにその賜物をお与えになっているのです。
今、あなたは聖霊を受けるべきなのです。 ペンテコステ
(五旬節)の日以降、クリスチャンが神に向かって、どうか聖霊をくださいと請願している箇所は聖書の中には見つかりません。
実際には、すでに聖霊を受けた彼らが、人々が聖霊を受けることができるようにと祈っている場面をいつも見つ出すことができるのです。
使徒2:33
「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」
使徒8:15
「ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。」
使徒10:47
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
使徒19:2
「“信じたとき、聖霊を受けましたか。”と尋ねると、彼らは、“いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。”と答えた。」
誰でも求めるもは、与えられます。
ルカ11:10-13
「だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
マルコ11:24
「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
恐れてはなりません。 どうか気を楽にしてください。
何か悪いもの受とるような危険はないのですから。
あなたの父である神を信頼して下さい。
神を信頼している子供のような心の態度で、神の前に来て下さい。
聖霊は完全なる紳士のような方であられるのですから。
ルカ11:11、13
「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。」
「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
あなた自身が口を開けて、話し出すことを始めなければなりません、そのことを聖霊はなされないからです。
超自然的なことは、あなたが話すことではなく、あなたがいままで習ったことのないような言語をあなたが話し出すことなのです。
使徒2:4
「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
使徒10:46
「彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。」
第一コリント 14:14
「もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。」
意味: 異言で話すというのは、聖霊があなたに発声させて、あなたがいままで習ったことのないような言語を、あなたの霊(霊とは実際のあなたなのです)で話すのことなのです。
どうぞ信仰にたって、声を出し始めてください、あなたが口で発声しようとする状態で、音を発してみてください。
聖霊は決して、あなたの自由意志に逆らうようなことはしません。
聖霊はあなたに無理やり異言を語らせようとは決してしないのです。
あなたは自由に、喜んで、あなたの舌を信仰をもって主に委ねるべきなのです。
* すでにあなたが知っているの言語を話すのはやめて下さい。
そのことをしないようにしてください。あなたは一度に二つの言語を話すことはできません。
どうか、あなたの口を開けて、何かを話して始めてください。
当然ですが、口を閉じた状態では話すことはできません。
大胆に異言で話せば話すほど、聖霊で満たされているという確信がもてます。
あなたが信仰をもってその行為に踏み出すとき、異言にたいする証明と確信が伴ってくるでしょう。
詩篇81:10
「わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。
あなたの口を大きくあけよ。 わたしが、それを満たそう。」
どのような音や音節が口に出てきたとしても、どうぞ、信仰と大胆さをもって、異言で話し始めてください。
どうか聖霊があなたの口を異言で満たすように。
聖霊はそうなさることでしょう。 簡単に口から出てきそうな音であればなんであれ、
どうか信仰によって大胆に異言で話すよう、聖霊に協力してみてください。
この地球上には何百もの言語がありますが、あなたがそれらすべての言語を話せるのでないなら、
聖霊がどのような言語であなたの口を満たすことかを、あなたが非難する資格はないのです。
あなたの知性、また言語に関する限られた知識であなた自身が異言について判断するのはやめてください。
あなたの口に出てくる、聖霊からの言葉に信頼してください。
神はあなたが信仰によって前に進み出られるのを、お喜びになるのです。
感情や気持ちなどはあまり重要ではありません。 あなたは少し異なる気分を体験するかもしれません。
異言で話すことは霊的な体験であり、感情的な体験ではないのです。
しかしながら、聖霊にたいする人々の反応には個人差があります。
ある人は感情的に振る舞うかもしれません。しかしそれらは個人それぞれの自由なのです。
他の人たちと、同じような異言の体験をしたのかどうかを基にして、あなたの信仰を立て上げないで下さい。
私たちはそれぞれ異なる体験を持っているかもしれませんが、聖書があなたの指針なのです。
聖書には“彼らは聖霊を受けたように感じたので、 聖霊を受け取ったと” と書かれていません。 彼らは聖霊で満たされ、そして異言を語ったたので、彼らは聖霊で満たされたのだと確信したのです。
あなたの感情の上に信仰をもたないようにしてください。
* あなたが異言で話すとき、あなたは神に語りかけているのです。
第一コリント14:2
「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。」
あなたは自分自身で話しているわけではないのです。 もし神がその音を好まれるのならば、どのような音であれ、あなたが心配する必要はないのです。
異言はあなたにとって不愉快に聞こえるかもしれませんが、実際にはある国の言葉で“主を賛美します”と言っているのかもしれません。
* 異言を語ることは重要なのですが、それだけが聖霊を受けるための方法ではないのです。 あなたはあなたの内に神としての人格をもたれている聖霊を受けいれられています。 聖霊の臨在を認め、 聖霊の光の内に生きるべきです。
しかしながら、あなたの舌を聖霊の導きに委ねることは、あなたが喜んであなた自身を聖霊に委ねることを表しています。
あなたのエゴ、重々しい態度、プライド、堅苦しさ、伝統、内気さ、文化など、これらすべてを、あなたの話し方を導いてくださる聖霊に委ねなければならないのです。
* 異言を話すということは、超自然的な主の臨在を、あなたの内に感じることの証明となります。
なぜならあなたは今まで、習ったことのない言語を語るという、以前できなかったことを、できるようになったからです。
* もし異言を話すことをサタンが妨害しに来たとしてても驚かないでください、
なぜなら異言はとて強力であるからです。
もしサタンが、あなたを完全に異言で語らせないようにできないならば、サタンはあなたがあまり異言を語らないようするでしょう。
異言にたいして疑うというすべての誘惑に抵抗して下さい。
ただひたすら神の言葉に立って行動して下さい。
* 定期的に異言で語るようにして下さい。 あなたがプライベートに異言で語れば語るほどよいのです。
あなたは異言で語りすぎるということはないのです。
* あなたは今、聖霊を受けられました。 あなたの内に永遠に住まわれるでしょう。 今、聖霊はそこにおられ、あなたのために用意ができており、喜んでいつでも神の完全なる御心のままに、あなたに異言を与えることのできるお方なのです。 あなたがあなた自身の母国語を語るように、あなたの意志で異言を語ることしなければならないのです。 聖霊は決してあなたの自由意志に取り去らないのです。
ヨハネ14:16-17
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。 世はその方を受け入れることができません。
世はその方を見もせず、知りもしないからです。 しかし、あなたがたはその方を知っています。
その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
第一コリント14:14-15
「もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
ではどうすればよいのでしょう。 私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。
霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」
愛する天におられる父よ、わたしはイエスキリストを、 私自身の主として、 また救い主として認めます。 わたしはイエス様の尊い血によって、すべての罪から清められ、許されたことをあなたに感謝します。
天のお父様、わたしはいまイエスの名によって、信仰に立ち、聖霊の賜物をいただけるようにお願いいたします。 わたしを聖霊で満たして下さることを感謝します。 信仰によって、わたしは聖霊で満たされると告白します。
わたしは聖書の時代と同じように、聖霊で満たされているので、神が彼らに与えられたように、わたしの口から異言を解き放つように望みます。
それゆえわたしは声を上げ、どんな言葉であれ、あなたがわたしの口にくださる言葉を語ります。
わたしはいまイエスの名によって異言を語ります。(さあ今、
して下さい!)
異言を語ることに関してのより詳しい情報は、 あなたは異言を語るべきである というペーパーを読んで下さい。
あなたがもたれているかもしれない反論にたいしては、 異言を語ることに反対す人々にたいする答え に詳しく説明されています。