感謝の心を持ちましょう
終わりの日には、困難な時代が地上にやって来るでしょう。
その一つの理由は人々が感謝を表さなくなるということです。
Uテモテ3:1−2
「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、」
不平を漏らすのは、感謝することの反対です。
私たちの不平、不満で神を喜ばせることはできないのです。
民数記11:1
「さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。
主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。」
新約聖書は、この出来事を私たちが教訓として学ぶために書かれたのだと述べています。
Tコリント10:10−11
「また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。
彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」
人が神から離れてゆき、堕落してゆく一つの理由は感謝しなくなることなのです。
ローマ1:21
「というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。」
感謝しない心の根はプライドにあります。
感謝しない人は、もっとたくさん得ることができるはずだと考えるのです。
彼らは今持っているものよりも、もっと良いものを得る資格があると思っているのです。
あるいは、彼らは彼ら自身の持っているものはすべて、自分の力で得たのだと思っているのです。
ネブカデネザル王はこの感謝する大切さの教訓を学ぶまでは、プライドに満ちた王様だったのです。
ダニエル4:28−37
「このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった。
十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、王はこう言っていた。
“この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。”
このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。
“ネブカデネザル王。 あなたに告げる。
国はあなたから取り去られた。
あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。“
このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。
彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。
その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。
すると私に理性が戻って来た。
それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。
その主権は永遠の主権。 その国は代々限りなく続く。
地に住むものはみな、無きものとみなされる。
彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。
御手を差し押えて、 ”あなたは何をされるのか。“
と言う者もいない。
私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。
私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。
今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。
そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。
また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」
人々が神の偉大さの理由を知り、神のすばらしさを正しく理解するならば、彼らも神を礼拝し、感謝を捧げるはずなのです。
だれでも健康な心を持つならば、神に向って自然に感謝を捧げるはずなのです。
神は常に感謝の心を持つ人を、神の御前において歓迎されのです。
詩篇100:4
「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。
主に感謝し、御名をほめたたえよ。」
感謝は神に捧げられるべきです、あなたがどう考えようが、神は感謝を受けるにふさわしいお方なのです。
詩篇107:1
「主に感謝せよ。 主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。」
Tコリント15:57
「しかし、神に感謝すべきです。
神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」
Uコリント2:14
「しかし、神に感謝します。
神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。」
Uコリント9:15
「ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」
御言葉は私たちクリスチャンが、感謝の心に満ちたクリスチャンであるように命じておられるのです。
コロサイ3:15
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。
そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。
また、感謝の心を持つ人になりなさい。」
クリスチャンにとって、感謝すべきか否かは選ぶことができません。
もし感謝することが不可能ならば、神は私たちに感謝しなさいとは言われなかったでしょう。
コロサイ3:17
「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」
コロサイ2:7
「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」
私たちクリスチャンはより深く信仰と感謝について教えられる必要があります。
信仰と感謝の思いは当然のように私たちの心の中に湧き出てくるわけではないのです。
私たちが感謝の大切さを知れば知るほど、私たちの信仰は成長し、また私たちの感謝する姿勢も良くなってゆくのです。
エペソ5:4
「また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。
そのようなことは良くないことです。 むしろ、感謝しなさい。」
感謝を捧げることは、どんなときにおいても適切なことなのです。
私たちは周りの人々がしてくれることに、また神のしてくださることに感謝を捧げるべきなのです。
いつ感謝を捧げたらよいのでしょうか?
いつも続けて感謝すべきなのです!
ヘブル13:15
「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」
いつ感謝を捧げたらよいのでしょうか?
常に感謝を捧げるべきなのです。
エペソ 5:20
「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」
どうか、この御言葉を誤解しないでください、この御言葉は私たちの周りにおこる悪い出来事すべてを、神に感謝せよという意味ではないのです。
神は悪い出来事の責任はとられないのです。
ヤコブ1:13,16−17
「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。
神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
愛する兄弟たち。 だまされないようにしなさい。
すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。
父には移り変わりや、移り行く影はありません。」
もしこの御言葉にでてくる兄弟達の生活にだまされるという経験がなかったのならば、
神はこの御言葉で、私たちに注意を与える必要はなかったでしょう。
17節ではすべての良い物、また良い物だけが、天におられる父から与えられるのです。
もしわたしがあなたの家でごちそうになって、わたしが帰ろうとしているときに
“すべてのことを感謝します” と言ったなら。
あなたはわたしが人殺しを感謝しますとか、あのお金が盗まれたことを感謝しますとか、すべての離婚の原因を感謝しますなどという意味にとりますか。
そうではありません。
わたしはあなたがしてくれたことに感謝しているのであって、他の人がしたことに感謝しているのではないのです。
私たちは神様のしてくださったことすべてに感謝をしているであって、悪魔のしたことに関して感謝しているのではありません。
しかし、すべてのことを感謝するということにおいて、私たちが見逃してはならない真理があるのです。
私たちは悪魔のした業に対し不平、不満を言うことができるのでしょうか?
いいえ、
私たちはいつも、あらゆる状況において感謝を捧げなければならないのです。
あなたが悪魔はすでに打ち負かされ、イエス様が主であるとはっきり理解するならば、あらゆる状況において感謝を捧げるということは容易なことになるのです。
ですから、何があなたに起ころうと、あなたはイエス様が答えであり、イエス様が問題を解決してくださると知っているのです。
ハレルヤ!
Tテサロニケ5:18
「すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
どんなに私たちの周りをおりまく状況が暗くて、希望をもてないような状況にあなたがいようとも、感謝を捧げてください。
このことがあなたへの神の御心なのです。
神様による解放を体験できることを感謝してください。
神様の哀れみと恵みに感謝してください。
神様の誠実さに感謝を捧げてください。
悪魔が打ち負かされ、イエスキリストによってあなたが自由になれたことを感謝してください。
イエス様は主であられることを感謝してください。
あなたの名前が天において書かれてあることに感謝してください。
あなたを愛してくださり、
あなたを大切にしてくださっていることを神様に感謝してください。
神様に感謝してください。 神様に感謝してください。
ピリピ4:6
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
御言葉は私たちに、心配しないで、感謝し祈りなさいと言っておられます。
コロサイ4:2
「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」
コロサイ1:3
「私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。」
私たちは周りの人々にも感謝を捧げなければならないのです。
エペソ1:16
「あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」
Tテサロニケ1:2
「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え」
Tテモテ2:1
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。
すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」
私たちを愛し、また助けてくれる人々のゆえに神様に感謝を捧げることは容易なことなのです。
しかし、
そうでない人々のゆえに神様に感謝を捧げるのはそう簡単ではありません。
しかし、Tテモテ2:1にはすべての人々のために感謝をささげなさいと書かれているのです。
どうしてでしょうか?
私たちが感謝を捧げることにより、私たちの心の中に苦々しい思いや、憎しみの思いが根づくのを防いでくれるのです。
感謝を捧げることによって、私たちの心の姿勢が真っ直ぐになるのです。
ある人達がどんなに悪い人間であったとしても、神様はそれでも彼らを愛しておられ、彼らがあがなわれることを願っておられるのです。
神様は彼らに特別な計画をもっておられ、彼らは神様にとって貴重な存在なのです。
すべての人は、何かに貢献するために創造されたのです。
ですから、私たちは神様の視点から彼らを見るようになるのです。
彼らのもつ将来への可能性や価値は、彼らが以前してきた悪事とは比較にならないのです。
天国にいる人々は、神様のしてくださったことすべてに、大きな感謝を捧げているのです。
黙示録4:9−11
「また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
“主よ。
われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。
あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」
黙示録11:16−17
「それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、言った。
“万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。
あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。”」
感謝の心を持つのは成熟した人間のしるしなのです。
その反対に感謝をしない人は、まだ人間的に未完成なのです。
赤ちゃんは両親のしてくれることすべてに感謝するでしょうか、赤ちゃんが大きくなった後で感謝をするでしょう。
感謝をしない人間はまだ十分に成長していないのです。
不幸な状態から脱け出すためには感謝を捧げることなのです。
憂うつな心は、感謝の心をもたないことに起因するのです。
1. あなたがどんな人間であるか、 どんな人間ではないのか
2. あなたの持っているも、 あなたのもっていないもの
3. あなたのしていること、 あなたのできないこと
感謝の心を持たずに幸せになることは、決してできないのです。
幸せであることなしに、感謝することはできないのです。
ですから。 感謝の心を持ちましょう!