神の言葉は一粒の種のようなものです

多くの人々は神の言葉がダイナマイトのように働くであろうと期待しています。 しかし実際には、神の御言葉は一粒の種のように働きます。 なぜならイエス様はそう言われたからです。

ルカ8:11-12

このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。」

第一ペテロ1:23

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」

神の言葉は生きています。 まさしく本物の種のように―――聖書はまだ見えていない命で満ちているのです。

ヨハネ6:63

「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」

イエス様は言われました、 “神の言葉は生きているのです”。 御言葉の中には命が蓄えられています。 あなたの読まれている聖書の言葉は一見すると、命も力もなさそうに見えますが、種も植えられるまではそのように見えます。 しかし、聖書の御言葉は命と力をもっているのです。

マルコ 4:30-31

「また言われた。 “神の国”は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、」

イエス様は神の国はまさに種のように働くと、たとえ話で説明されました。 それゆえに私たちが神の国とまた、神の国がどのように私たちに働くかを理解するためには、 種の仕組みをよく理解する必要があるのです。


種とは何か?


種は生きていて; 命を含んでいます

一見しただけで、 ある種が生きているのか、死んでいるのかを見分けることは普通できません。 あなたは種が本当に命ある種かどうかを見たり、 感じたり、 聞いたり、 匂ったり、 味わったりしてただけでは見極めることはできません。 唯一の見分け方はその種を植えてみることなのです。

種は植えられるまで何もしません

種というものは袋に詰めて、棚の上に置いてある状態では絶対に成長しないのです。 種は適切な場所に植え付けられる必要があります。 もしあなたが聖書の言葉をとうして、あなたの人生になにかを産み出させたいなら、 あなたの心と思いに御言葉 の種を植え付ける決意をしなければなりません。

あなたの生活に、神の言葉の種を植え付けるのに最高の方法は、聖書に書かれている言葉をあなた自身が告白することなのです。 他人が語っている聖書の言葉を聞くことも確かに良いことですが、 あなた自身が聖書の言葉を語るほどには豊かな収穫をもたらさないのです。

あなたの口で神の御言葉を告白するのは非常に重要なのことなのです。 私たちが神の御言葉を告白するとき、私たちは私たち自身が願う収穫の種を心に蒔いていることになるのです。

ローマ10:10

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

もしあなたが今どんなに悪い状況にいようとも、その悪い状況から救われ、また解放されるためには御言葉の告白 (あなたの言うこと) がとても大切な問題解決の鍵なのです。

種はその種によってもたらされる実よりもはるかに小さいのです

あなたが今、直面している問題はとても大きいかもしれません。 それにくらべ聖書の御言葉 はとても小さく見えるかもしれません。 しかし、 神の御言葉があなたの中に植えられるときに、 その御言葉はあなたの内で成長し、その問題を克服するのです。

種はいつも同じ種類のものを後から生み出します

ガラテヤ6:7

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」

あなたが今必要とし、あるいは願おられるどのようなことでも、それらに関連する聖書の御言葉を見つけてみて下さい。 これらの御言葉を豊かにあなたの内に植え付けて下さい。

これらの種は成長し、あなたが必要とし、願っていることを収穫の実として生み出すでしょう。

種は力強いのです

種は成長するにしたがって、どろや、石、 その他を跳ねのけるでしょう。 どのような困難にあなたが直面しても、あなたの心に植えられた神の言葉がそれらの困難を押しのけていくことでしょう。

種は密かに成長し始めます (地中において)

種が正しく成長しているかどうかを調べる、唯一の方法は土を掘ってみるか、 それとも芽がでるまで待つことだけなのです。 もしあなたが種を掘り起こしたなら、種をだめにするかもしれません。

種は実を結ぶまで時間が掛かります

だれも植えたばかりの種が、同じ日に収穫をもたらすとは期待しません。

神の御言葉はすぐに芽を出して、すぐに実を結ぶかのように見えます。 しかし、わたしたちが具体的に種について調べるとき、 御言葉の種は時間という概念を越えて、 人々の生活の中で成長するということがわかります。

種は忍耐強いのです


種は決してあきらめるようなことはしません。 種は昼も夜も働き続けます。 あなたが寝ている時でさえも、植えた種は成長し、実り豊かな収穫をもたらすように一生懸命働き続けているのです。

種は他の種類の種によって影響を受けません


他の種にどのようなことが起ころうとも、そのことはあなたの蒔かれた特別な種に変化をもたらすことはないのです。 各種にはそれぞれの種が果たすべき役割があるのです。 トウモロコシ畑に植えられた一粒の麦の種は、やはり麦を産み出すのです。 種は他の異なる種がもし死んだとしても、 最初の種の果たすべき役割を中断することはないのです。

種は栄養分の補給がないと成長が止まいます

私たちは種を植えただけでは収穫を期待することができません。 種は収穫の時まで、守られ、手入れを施す必要があるのです。 掘り起こされた種や、水を受けない種は何も産み出しません。

多くの種を蒔けば、多くを刈り入れることができます

第二コリント9:6

「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」

どうぞ種に関する真理について考えてみて下さい。 あなたの生活における神の御言葉の働きが、聖霊によって助けられるようにしてください。