教会の集会を家でももつことはできるのでしょうか?
実は新約聖書のどの箇所にも、教会の建造物についてはくわしく述べられていないのです。 教会という言葉の意味は建物を指すのではなく、人々の集まりを指しているのです。
マタイ 18:20
「 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
家庭集会
使徒 8:3
「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」
使徒 12:5,12
「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」
「こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」
使徒 20:20
「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え」
ローマ 16:5
「またその家の教会によろしく伝えてください。 私の愛するエパネトによろしく。 この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。」
Tコリント 16:19
「アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。」
コロサイ 4:15
「どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。」
ピレモン 1:2
「姉妹アピヤ、私たちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。」
教会の礼拝日は絶対に日曜日でなければならないのでしょうか?
ローマ 14:5
「ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。」
もしある特定の日だけが、教会の集会日として正しいならば、そのことについて詳しくクリスチャンに示している御言葉はあるのでしょうか。
使徒 20:7
「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。」
当時のクリスチャンにとっての週の初めは、安息日の終わりから始まります。
聖書にははっきり記されてはいませんが、初代のクリスチャンはおそらく、土曜日の夜に礼拝をもっていたことが考えられます。 理由はユダヤ人にとっての休日が安息日であり、安息日が終わる夕方から夜にかけてを週の初めの日として、彼らは考えていたからです。 その後、時代が経つにつれて、週の初めの日が聖なる伝統的な礼拝日として確立してきたのです。
教会は私たちの独自の伝統や、文化ではなく、聖書の御言葉によって判断されるべきなのです。