キリストの弟子とはいったいどういう人なのでしょうか?

 

● イエス様の御言葉にとどまる人

ヨハネ 8:31

「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。 ”もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。”」

神の言葉があなたの心に入ることによって、あなたはイエス様のように変えられ

、神の言葉によってあなたはあなたの進むべき道に導きます。 イエス様の弟子となる為には、神の御言葉にとどまらなければなりません、そして御言葉に生きなければならないのです。

● 先生のようになる人

ルカ 6:40

「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」

弟子とは最終的にイエスキリストのような人になるはずなのです。

ローマ 8:29

「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」

弟子であることによって、その弟子は先生のようになり、先生がしたことと同じことをするようになるのです。

ヨハネ 14:12

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」

イエス様が初代の弟子達をよい模範をとうして訓練されたように私たちも、 人々を模範と、実践によって訓練する必要があるのです。

マタイ 28:20

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

弟子というのは学校における実習生に似ています。

弟子作りこそ、福音伝道をとうしてなされなければならないのです、ただ単にイエス様に関する知識を人に吹き込むだけでは十分ではないのです。

 

愛する人

ヨハネ 13:35

「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

愛によって歩むということは救われていない人にとってなかなかできないものです。 人が救われるとき、その人は新しい性質を主から受けるのです。 神の愛はあなたの心の中にあるのです。 

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」      ローマ 5:5

神の愛を受け入れ、またその愛を実践するためには、私たちが愛にあって歩むことができるように、日々努めなければならないのです。

 

すべての権利を捨て去る人

ルカ 14:33

「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」

イエス様は文字どうり、私たちがイエス様に従うために、今すぐすべてのものを捨てなさいと要求しているのではないのです。 しかし私たちにその用意ができていなければならないのです。   (例: ヨハネ 20:10)

イエス様の弟子となるためには、あなた自身の人生も含めて、あなたのすべてを主に捧げなければならないのです。 イエス様は主です、 あなたが主ではないのです。