神は三位一体であられるのです
この世界には唯一の、真実の神がおられるのです。 神は父、子、聖霊というそれぞれの人格をもって神の存在をあらわされます。
これまで三位一体について理解すあることはとても難しいことでした。 しかし、たとえあなたにとって三位一体を理解することが困難であっても、どうか心配しすぎないうに注意してください。
神は、私たちの限定された考えをはるかに超えて、存在されるお方なのです。 実際には、神ご自身が私たちに示して下さった範囲において、私たちは神のことについて知っているにすぎないのです。
申命記 29:29
「隠されていることは、私たちの神、主のものである。 しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。」
多数の神々という意味ではありません
申命記 6:4
「聞きなさい。イスラエル。 主は私たちの神。 主はただひとりである。」
イザヤ 43:10
「あなたがたはわたしの証人、・・主の御告げ。・・わたしが選んだわたしのしもべである。 これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。 わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。」
イザヤ 45:21
「告げよ。証拠を出せ。共に相談せよ。 だれが、これを昔から聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、主ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。」
イザヤ 46:9
「遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。」
イザヤ 44:6
「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。 ”わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。”」
聖書の御言葉に明確に述べられていますが、特に旧約聖書は神は唯一の神であると述べられています。 (新約聖書のヨハネ1:17-18からわかるように、旧約聖書のみにおいては神に関する知識がまだ完成されたとはいえません)
イザヤ書44:6に目をむけると、非常に興味深いことがわかります。 この節は、神以外に神はいないと主張している一方で、この文には一人以上の人物が存在するように感じられます。
救いを得るために、必ず三位一体を理解しなければならないという意味ではありません
聖書のどの箇所にも、私たちの三位一体に関する正しい理解が、私たちの魂の救いに関わるとは書かれていないのです。
(イエスキリストを主とし、また神として受け入れ、また認めることが救いに関して欠かせないことなのです)
私たちはイエスキリストを主として認めるすべての人々を、教理の多少の違いに関わらず、キリストの体の一員として認め、受け入れるのです。
これまで、三位一体についての正しい理解のことで、様々な混乱や、争いがキリストの体なる教会間においてありました。争いや議論を持ち出すことが、私たちの願いではありません。 このティーチングペーパーにおいて述べていることは、御言葉が三位一体についてどのように述べているかを説明しているだけなのです。
三つ
創世紀 3:22
「神である主は仰せられた。 ”見よ。 人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。 今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。”」
創世記 3:22において、神は誰に語っているのかは説明されていませんが、神は神ご自身に語っておられるように感じられます。 ”人はわれわれのひとりのようになり” この箇所を見ると神は一人以上おられるように思われます。
マタイ 3:16-17
「こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。 また、天からこう告げる声が聞こえた。 ”これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。”」
マタイ 3:16-17において、はっきりと三人の人格者が登場するのが明らかです。 この三人はイエス様、神の霊、また天から、イエス様をわたしの愛する子と呼んでおられる方を表しているのです
使徒 2:32-33
「神はこのイエスをよみがえらせました。 私たちはみな、そのことの証人です。 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」
再び、この御言葉においても三人の人格者が登場します。 神として礼拝を受けるイエス様、父なる神、そして聖霊様。
Uコリント 13:14
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」
もし神の存在が明らかに三位一体でないならば、なぜこのUコリント13:14の御言葉において述べられているのでしょうか?
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結論
文字どうり、何百という御言葉は、神は一人以上の人格者からなりたっているということを示しているのです。 しかしながら、神は一致して一人のお方であり、目的においても一人のお方であり、性質においても一人のお方であられるのです。
三位一体についてすべてを理解しようと、あまり時間を費やさないようにしてください。 あなたが何をするにおいても、三位一体のことに関してあまり、議論をしないように気を付けてください。
神に礼拝、賛美し、また神に従うために、神に関するすべてのことを知っていなければならないということはないのです。