なぜ祈らなければならないのでしょうか?

 

祈りとは神とのコミュニケーションなのです。 祈りとは、ただ何かを求めることだけではなく、聞くこと、議論すること、また感謝することを含むのです。

祈る理由として三つ挙げられます、第一に神のため、第二にあなたのため、第三にあなたの周りの人のためなのです。

 

神との関係

より良い関係作りというものは、お互いのコミュニーケーションが適切に行われるかどうかにかかっているのです。 あなたと神との関係は、祈りというコミュニケーションなくしては成長してゆかないのです。

Tコリント 1:9

「神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。」

神はあなたとの個人的な交わりを願われるのです。 神はあなたと交わる時を持ちたいと願っておられるのです。

黙示録 3:20

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

祈りとは私たちにとって、特権なのです。 普通、私たちのことを真に愛している人たちの周りや、また私たちが愛している人たちと交わることは喜びであり、楽しいことなのです。

神はあなたを、この世の誰よりも愛しておられるのです。

  

神の御姿に変えられてゆくのです

私たちが主にいつも目を向け、主の臨在の中で時を過ごすなら、私たちは神の御姿に変えられてゆくのです。

Uコリント 3:18

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。 これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

私たちがある人達と交わりの時を持てば持つほど、その人達のことをよりよく知ってゆくことができるのです。 彼らの好きなもの、嫌いなもの、また考え方などが交わることを通してわかるようになるのです。 あなたが祈りを通して、主と共に交わる時をもつならば、あなたはより深く神を知ることができるでしょう。 ある人と共に交わる時をもつことによってのみ、私たちはより良い関係をその人と築くことができるのです。 

神を私たちの生活の中心に迎え入れる必要があるのです。 そうでなければ、私たちへの神の御計画を見失うかもしれません。 なぜならこの世の仕組み、システムは私たちクリスチャンが持つべき考えを歪めてしまうからです。 ですから私たちは私たちの思い、考えを祈りによって新たにされなければならないのです。 思いを入れ替えることには時間がかかります。 しかし、主と共に交わる時をもつことにより、その思い、考えが早く一新できるようになるのです。

私たちの良い模範であられるイエス様

イエス様はよく祈られました。 イエス様こそが私たちが従うべきよい模範であられるのです。 祈りがイエス様にとって必要であるならば、なおのこと私たちの生活に祈りが必要なのは明らかです。

ヨハネ 13:15

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」

ルカ 6:12

「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」

マルコ 1:35

「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」

ルカ 5:16

「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」

 

私たちは祈りによって神に信頼していることを認めているのです

祈りは神により頼むことを表しているのです。 祈りをとうして私たちは、神の助けなくしては何も大きなことを成し遂げることはできないことをいつも思い起こすのです。

私たちは神と語り合うことによって、自分たちの直面する状況を正直な思いでみることができるようになるのです。 私たちは神をだますことなどできないのです。 

祈りとはあなた自身がへりくだる一つの方法なのです。 神は高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みをお授けになると ヤコブ 4:6に記されています。

祈りによって、私たちは神との交わりを保つことができるのです。 私たちは神のみに思いを集中させることを通して、慌しい毎日の生活に終止符を打つことができるのです。

祈りをとおして、神と共に交わりの時をもつことにより、私たちは霊的に整えられ、神の臨在により敏感となることができるのです。

ヨハネ 15:4−5

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。 枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。 同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」

箴言 16:18

「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」

神からの、承認、またチェックなしで、私たちは何も始めるべきではないのです。 神から導きを受け取ることは、あなたにとって何にもまさる助けとなるのです。 もし私たちが神からの助けを求めないならば、私たちは問題へと直行しているのです。 なぜなら悪魔は私たちにわなを仕掛けて、滅ぼそうとするからです。

祈ることはあなた一人で物事を進めることとは正反対のことなのです。 祈りによってプライドが砕かれるのです。 プライドのある人はあまり祈ろうとしません。 

神はあなたが一生かかって成し遂げるようなことも、わずか一分で成し遂げることもできるお方なのです。

 

祈る方法を教えてください

イエス様は明らかに、弟子たちにイエス様の祈りにみちた生活、そして祈りの大切さの点において彼らに深い認識を与えました。 弟子たちはイエス様にどのように祈ったらよいかと尋ねました。 ルカ 11:1 の御言葉においてのみ、そのことが記録されています。

ルカ 11:1

「さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。 ”主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。”」

 

自分自身を霊的に築きあげる

イザヤ 40:31

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

ルカ 22:46

「それで、彼らに言われた。 ”なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。”」

祈りは霊的な運動なのです。 祈ることによってあなたの霊が強められるのです。 祈る上での一つの方法は異言によって祈ることなのです。 異言によって祈るとは、あなたの考えで祈るのではなく、あなたの霊によって祈ることなのです。 聖書によれば、聖霊によって祈ることの利点の一つはあなた自身の徳を築き上げることができることなのです。

ユダ 1:20

「しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り」

自分を築き上げることは、自己中心なのではありません、なぜなら霊的に強い人でないと他者を助けることができないからです。 他者のことは考慮に入れずに、ただ自分のためだけに祈るならば、それは自分本位の祈りになってしまうのです。

Tコリント 14:4,14−15

「異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。」

「もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいのでしょう。 私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。 霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」

 

まわりの状況が変わる

日々の生活の中で私たちがコントロールできる範囲内において、私たちは権威を持っているのです。 その中に、神の臨在と神の働きを招き入れるかどうかの選択は私たち次第の決断なのです。

エゼキエル 22:30

「わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。」

ヨハネ 16:23−24

「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。 まことに、まことに、あなたがたに告げます。 あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。 求めなさい。 そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」

ヨハネ 14:13−14

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。 父が子によって栄光をお受けになるためです。 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」

キリストは主の体なる教会に、ある一定のイエスキリストにある権威をゆだねられました。 私たち信者の決断、また祈りによって表されることが、私たちの生活、他者の生活に影響を及ぼすことになるのです。

マルコ 11:24

「だからあなたがたに言うのです。 祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

 

祝福は約束されているのです

エレミヤ 33:3

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

U歴代志 7:14

「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」

詩篇 50:15

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」